よみものreport

休学とインターンシップ

 

私は現在修士課程の2年生です。しかし、この1年とある理由で休学しています。

本当なら同期のみんなと同じように就活をして、同じように修士論文を書く日々を過ごしていたはずでした。ただ、就職活動に取り組んでいた中で

 

「あれ、本当にこのまま普通に就職活動するのか?」

 

というもやもやが、就職活動が進めば進むほど大きくなっていき、次第にその違和感を無視できなくなっていきました。

レールから外れる怖さ。就活をやめてしまう不安。

今まで味わったことのない感覚に悩みに悩みましたが、両親や教授のひと押しもあり、結果立ち止まって自分を見直すために休学という決断をとりました。

 

休学中は見識を広げるために日本や世界をあちこち旅する予定でしたが、まさかのコロナウイルスの感染拡大。
せっかく休学をしたにも関わらず、出だしの4ヶ月はアパートの一室でただ時間をやり過ごすことしかできずにいました。自粛期間中には人生初の坊主にしたりなんかも

 

 

そんな悶々とした日々を過ごしていた時に、去年の夏に「NPO法人 水の学校」のオープンキャンパスで一度だけお会いしていたチームまちやの武藤さんと猪股さんからインターンのお誘いを受けました。

 

「新しい経験ができるのでは!」という期待と「やっと休学した意味がでるじゃん!」という高揚感で、即参加することを決めました。

 

 

期間は81日からの1ヶ月間。

はじめに取り組んだ業務は開発計画の資料作成でした。

 

説明を受けた後、情報の整理と郡上八幡に関する知識の勉強に余裕綽々で取り組もうとすると、

 

「勉強なんかしてたら、1ヶ月終わってまうで。現場は毎日動いとるんや。どんどん手を動かさなあかん。」

 

と武藤さんに指摘され、頭の中は混乱状態に。

 

現場との連携を図りつつの業務は、作成した資料も公開する相手によって内容を変えなければいけません。その日に資料が完成しても、次の日には内容を変更することも当たり前。はじめは現場のスピード感についていくことに必死でした。

 

 

後半に取り組んだ業務は「空き家調査」。

チームまちやで調査したデータを整理して地図上に落としていく仕事です。

 

空き家は全国的に拡大しており、郡上八幡でも問題となっています。7年前のH25年度にも空き家調査を行っており、その数はなんと353軒。

 

そこで、空き家問題を解決すべく組織されたのが「チームまちや」です。

 

H25年度とR2年度の調査結果を住宅地図に落としていく作業は、やった分だけ目に見える成果となる

ため気がつけば時間を忘れ作業に没頭していました。

連日、猪股さんと事務所で深夜まで作業したことは良い思い出です。

 

空き家調査の可視化を進めていくと住宅地図がどんどん空き家のプロットで染まっていきます。

最初は闇雲に作業していただけの自分の中にも、

 

 

 

「空き家めちゃくちゃあるやん!」

「これやばいんじゃないか?」

「どうにかしないと!」

 

という感覚が生まれてきました。

 

 

プロットの作業がひと段落すると、実際に空き家を測量し、平面図に起こす作業も行いました。この測量の際に、これまで外からしか見たことのなかった空き家の中に入ることができました。空き家の中には、使いかけの日用品、綺麗に並べられた写真立てや仕事で使用していた業務用のミシンなどがありのままに残っていました。

 

空き家であるのに生活感が漂うという矛盾が独特の雰囲気を醸し出しており、暮らしていた人たちの情景が自然と頭に浮かんできました。また、本来では立ち入ることはないプライベートな空間に足を踏み入れた緊張感もありました。

 

 

実際のまちづくりの現場では、机の上では考えもしない要素が複雑に関わり合っていました。インターンシップの業務を通して、まちづくりに関わる人間には、その目に見えない何かに思いを巡らせ、考える能力が求められているということを実感しました。

 

  • 水のまち郡上八幡で生活して

 

私のふるさとは栃木県で、岐阜県と同じ海無し県です。そのため、自分にとっての水辺の原風景は小さい頃から川でした。そのようなこともあり、私は研究テーマとして「川」を扱っています。

近年、ミズベリングをはじめとした水辺の良さが再確認され、川を生かしたまちづくりが進められています。しかし、それらの多くは都市部の河川敷でイベントの開催をはじめとした、言わば「ハレ」の日を演出するような河川の利用が中心であり、日常的に川との関わりを持つものであるとは言い難いです。

 

一方で、郡上八幡の人たちは日常的に川と関わりを持っています。

まちの中を流れる長良川、吉田川、小駄良川はどれも山からの恵みを享受した栄養豊富な水が流れ、たくさんの魚が気持ち良さそうに泳いでいます。そして、その水面が輝くほどに美しく鮮やかです。

晴れた日には魚を釣りに来る人や川に飛び込む子供たちの姿をたくさん目にします。

 

川に飛び込む子供たちはただ興味本位で川に飛び込んでいるわけではありません。

郡上八幡には地域の文化として、子供たちが橋の上から飛び込むという文化があります。最初は河岸の岩で練習するところからはじめ学校橋、そして新橋へとレベルアップしていきます。一人前の大人になるための通過儀礼のようなものです。

 

一見すると簡単そうですが、いざ橋の上に立ってみると想像より遥かに高く、足元はガクガクに震えてしまいました。

学校橋での挑戦時に緊張していた私を見かねて、地域の中高生が飛び方のコツを伝授してくれました。

重要なことは、姿勢は気をつけで、視線は正面のまま飛ぶことが重要だそうです。

「お尻から着水すると脱糞するので気をつけてください」と脅される場面も。。。笑

 

覚悟を決めて宙に舞うと、着水するまでの時間はとても長く、時が止まった様な不思議な感覚に陥りました。日常的にこんな経験をできる中高生の彼らが羨ましい限りです。

 

飛び込む前に、橋の上から「自己紹介」と「1ヶ月よろしくお願いします」という趣旨の宣誓をすると、川にいた子供たちが拍手でエールを送ってくれました。八幡にきて約1週間、生活に慣れてきた頃だったので、まちの人に受け入れてもらえたようなあの感覚はとても心地よかったです。

 

郡上八幡の人たちにとって、川はイベント会場ではありませんでした。人々の生活の場であり、文化や伝統を学ぶ教育の場です。実際に飛び込み、川で遊び、郡上八幡の人たちの川との関わり方を体験したことで川とまちとの関係を考えるヒントを掴んだ気がします。

 

 

郡上八幡は川以外にも昔ながらの水利用が今も残っており、水屋・水舟、井戸や水路などまちには水にまつわる施設がいたるところにあります。水舟は2〜3段からなる階段上の水槽に山水や湧き水を導水したもので、屋根があるものを水屋と言います。これらは、郡上八幡特有の水利用施設です。

 

ある日、散歩をしていたときに水屋を掃除しているお母さんと水路を使っているお母さんにお話聞くことができました。


 

水屋はまだまだ現役で、地域のみなさんで管理しているとのことです。水飲みや掃除以外にも、スイカやビール冷やしているものもありました。普段見かけるスイカやビールより、みずみずしさが増しているようで一段と美味しそうでした(笑)

私が1ヶ月間過ごした「玄麟」の中庭にも水舟があります。写真でしか見たことのなかった水舟で水を飲んだり、手をゆすいだり、暑い日には腕を入れて涼むなど毎日お世話になりました。

普段は蛇口をひねると水が出る環境に身を置いていた自分が、目の前に広がる水に無意識的に触れることで、気が付けば郡上八幡の水環境に心を奪われていました。

 

余談ですが、お話を聞いたお母さんに「スタイル抜群だね!!!」と褒めていただきました。これまでスタイルについて褒められたことはなかったので、お母さんの言葉を信じ、自信をもって生きていこうと思います(身長172cmですが)。

 

 

郡上八幡の人々は温かく、近所の人々との人間関係を大切にしており、挨拶からはじまるコミュニケーションがたくさんあります。このまち中でのコミュニケーションは郡上八幡の水の文化によって生み出されているような気がしました。

 

私は水屋や水路という言葉によってお母さんとのコミュニケーションをとりました。

そして、川に飛び込むという行動によって中高生とのコミュニケーションをとりました。

 

このまちでは、日頃から「水」という媒介によって人々の豊かな交流が生み出されています。

地域の文化がただの歴史として現代まで引き継がれてきたのではなく、生きた文化として人々の生活に根強く残っている証だと思いました。

 

このまちの人たちとのコミュニケーションは私の懐に入り込み、安心感を与えてくれました。

 

 

  • まちを想う“濃い”人たちと過ごした時間

 

郡上八幡で過ごした1ヶ月でたくさんの人と出会いました。

カフェで居場所をつくりたいと考えている人。

映像作品を通じて地域の文化や歴史を伝えようとしている人。

居酒屋で郡上八幡の将来の姿を、熱く語ってくれる人。

形はざまざまですが、みんながまちのことを真剣に考えています。

 

郡上八幡は伝建地区や魅力的な水路を有しており、景観まちづくりを成功させています。

 

しかし、私はそれ以上にこのまちの「人」に魅力を感じました。

 

郡上八幡には、よそ者の自分を温かく受け入れてくれた優しさと揺るがない芯を持ち合わせた柔軟な人たちがたくさんいます。そして、まちで起こることを自分の問題として捉え、行動に移している人たちがたくさんいます。これらは、一朝一夕で身に付くものではなく、まちの長い歴史の中で育まれた地域らしさだと思います。

 

どんなまちも、そこに住む人は必ず入れ替わります。

時代が変われば価値観やまちが必要とすることも変化していきます。形として存在するものを守り未来に伝えていくことも大事ですが、人々の思考の履歴や地域らしさとは何かを伝えていくことがより重要になるのではないでしょうか。

 

私は大学で土木景観を専攻しています。土木工学における景観とは、構造物をはじめとしたインフラのデザインを、その土地によりふさわしいものとして考えること。さらに、地域社会の再生やそこで暮らす人々の心の豊かさを育むことです。

 

景観は、「見かけ」という点のみで理解されてしまうことが多いですが、地域社会の再生や人々の暮らしといった空間としては捉えにくい質的なデザインを整理するためにも必要な視点です。

 

郡上八幡での生活を経て、視覚的に捉えることができる社会基盤をはじめとしたハードだけでなく、まちで暮らす人々や意識のようなソフトの側面も景観としての重要な要素だと改めて感じました。景観は、それを切り口に地域らしさを発掘し、地域の良さや課題をあらゆる人々に共有するための手段としての役割を担っているのだと思います。

 

 

  • 最後に

 

これまでは、自分が学んできた「景観」という概念の中で将来について考えてきました。

しかし、今回の滞在を通して、それは狭い世界の中でしか物事を考えていないということに気づかされました。

 

たくさんの人に出会い、話を聞きました。

知らないことばかりで、自分が見ている世界は、とてもとても小さく感じました。

小さな殻に篭らずたくさんの人の話を見聞きして。もっともっと色んなことを知りたいと。。。

 

これまで先ばかりを見て、自分のやりたいことを見つけることができないことがもどかしく、焦りばかり感じていました。

ただ、今は目の前のことに一生懸命取り組み、自分と向き合っていこうと思います。

今回の郡上八幡の生活で以前より、足元に目を向けることができた気がします。

 

1ヶ月間にわたり、長期インターンを受け入れてくださった、チームまちやの武藤さん、山崎さん、猪股さんありがとうございました。そして、私と関わったくださった郡上八幡のみなさんありがとうございました。